世界を舞台に守備の要として活躍する女子バレーボール選手の福留慧美(ふくどめ さとみ)選手をご存知でしょうか?
圧倒的なレシーブ力を誇り、日本代表としても活躍する福留慧美選手ですが、「どこの中学校や高校の出身なの?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、福留慧美選手のプロフィールをはじめ、出身中学校や高校、大学から現在の活躍までを詳しく紹介します。
プロフィール!身長や現在の年齢など
まずは、福留慧美選手の基本的なプロフィールを紹介します。
| 氏名 | 福留 慧美(ふくどめ さとみ) |
| 生年月日 | 1997年11月23日 |
| 年齢 | 28歳(※現在の2026年8月時点) |
| 出身地 | 京都府京都市 |
| 身長 | 162cm |
| 体重 | 60kg |
| 血液型 | O型 |
| ポジション | リベロ(L) |
| 利き手 | 右手 |
| 最高到達点 | スパイク:275cm、ブロック:260cm、指高:211cm |
| 現在の所属チーム | ヴィクトリーナ姫路(背番号13) |
福留慧美選手は、両親と2歳上の姉がいる4人家族の次女として育ちました。
ご家族もスポーツに親しんでおり、お父様は体育大学出身で陸上競技を行っていて、お母様は現在も地域でバドミントンをしているスポーツ一家です。
バレーボールを始めたきっかけは、小学3年生の時でした。
2歳上の姉がバレーボールを始めたため、練習についていくようになり、地元の友達も一緒に通っていたことから自分も始めることになりました。
ここまでバレーボールを長く続けてこられた理由について、福留慧美選手は「バレーが好き」という強い思いがあったからだと話しています。
ご両親が「バレーが好きならいつまでも続けていいよ」と自由にやらせてくれた環境に、とても感謝しているそうです。
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福留慧美選手の好きな食べ物と嫌いな食べ物は?



ラーメンと甘いものが好きで、
好きなスイーツはチョコやケーキ、好きなアイスはチョコチップ。
マグロとアボカドが苦手だそうですよ。



何かいつも決まった事をやるなどの
ルーティーンはあるのかなぁ。



春は花粉症がひどいため、苦手な季節で
試合前にはタオルの匂いを嗅ぐというルーティーンを持っているそうです。
福留慧美の出身小学校や出身中学校はどこ?
福留慧美選手の出身小学校は京都市立醍醐(だいご)小学校、出身中学校は京都市立樫原(かたぎはら)中学校です。
ここでは、バレーボールの原点となった小学校時代と中学校時代について順番に紹介します。
京都市立醍醐小学校の小学校時代
福留慧美選手が通っていた小学校は、京都市立醍醐小学校です。
小学生時代は、地元の小学生女子バレーボールチーム「京都 和(nagi)V.B.C」に所属し、山本雄一監督のもとで指導を受けていました。
日本代表で共にプレーする林琴奈選手は、このチームの先輩にあたり、小学生のころから交流がありました。
バレーボールを始めた当初のポジションはセッターを務めており、その後はアタッカー(スパイカー)も経験していました。
京都市立樫原中学校の中学校時代
中学校に進学した福留慧美選手は、京都市立樫原中学校のバレーボール部で活躍します。
中学時代は主に「レフト(アタッカー)」としてプレーしていました。
しかし、当時の身長は159cmと小柄だったため、ネットが高くなる高校バレーを見据えて、中学校の先生から守備専門の「リベロ」への転向を勧められます。
これが、のちにリベロとして世界で活躍する最大のきっかけとなりました。
ちょうど同じ時期、テレビで日本代表のリベロ選手がどんなボールも拾い上げる姿を見て深く感動し、「この人みたいになりたい!」と強く憧れを抱いたことも、リベロへの転向を前向きに受け入れる大きな理由となりました。
福留慧美の出身高校や出身大学はどこ?
福留慧美選手の出身高校は京都橘高等学校、出身大学は龍谷大学です。
ここでは、高校・大学時代のエピソードや、卒業後のプロキャリアでの活躍について詳しく見ていきましょう。
京都橘高等学校の高校時代
福留慧美選手は、2016年3月に京都橘高等学校を卒業しました。
高校進学に伴い、本格的にポジションを「リベロ」へ転向しました。
バレーボール部監督の三輪欣之氏による指導のもとで、守備の技術をしっかりと磨いていきました。
本人は当時を振り返り、「高校生活ではバレーボールだけでなく、勉強の時間も大切にしていた。文武両道の中で大きく成長できたと思う」と話しています。
また、同校の4年後輩には、2024年パリオリンピック日本代表で共に戦った和田由紀子選手がいます。
パリオリンピックが終わった後の2024年8月30日には、京都橘中学校・高等学校を和田選手とともに訪問し、在校生約1,100人が集まる「オリンピック出場報告会」に出席しました。
報告会では試合の映像を一緒に振り返りながら、在校生に向けて「部活も勉強も今しかできないことを全力で楽しんでほしい」と温かいメッセージを送りました。
龍谷大学時代
高校卒業後、福留慧美選手は龍谷大学に進学しました。
大学時代の実績としては、2019年の春季関西大学リーグ1部で「ベストリベロ賞」を受賞するなど、関西トップクラスのリベロとしてチームを引っ張る存在でした。
また、国際学部に所属していたバレー部の仲間が短期留学を経験し、1ヶ月の留学を経て自分の意見をはっきり言えるポジティブな姿になって帰国したことを目の当たりにします。
この経験から、福留慧美選手も「自分もいつか行ってみたい、変わりたい」と、海外生活や留学に興味を持つようになりました。
龍谷大学卒業後の進路と活躍(実業団・イタリア・現在)
龍谷大学卒業後の詳細な進路と活躍の軌跡は以下の通りです。
デンソーエアリービーズ時代(2020年〜2024年)
2020年に正式入団しました。最初は「自分にはV1リーグは無理」と考えていましたが、チームの雰囲気の良さに惹かれて入団を決意します。2022年には日本代表に初めて選ばれ、世界選手権で8強入りに貢献しました。2023年のパリ五輪予選で活躍する中で、「海外の強い球を拾うには、海外でプレーするのが一番だ」と考え、本格的に海外挑戦を決意しました。2024年のパリオリンピック出場を果たした後、6月にデンソーを退団しました。
イタリア・ミラノ時代(2024年〜2025年)
2024年9月、イタリア1部リーグ「セリエA1」の強豪ヌミア・ヴェーロ・バレー・ミラノへ加入しました。どんなボールも吸い込むように拾いまくる圧倒的な守備力から、現地のサポーターや関係者から掃除機メーカーになぞらえて「ダイソン(Dyson)」というニックネームで呼ばれ、大変親しまれました。現地応援団から専用の歌が作られるほど大人気となり、セリエA準優勝や欧州チャンピオンズリーグ3位という素晴らしい結果を残しました。
ヴィクトリーナ姫路時代(2025年7月〜現在)
2025年7月にヴィクトリーナ姫路へ加入しました。背番号は13です。イタリア時代に対戦相手だったカミーラ・ミンガルディ選手とチームメイトになり、試合でチームの勝利に大きく貢献してPOM(Player of the Match)を受賞するなどの活躍を見せています。2026年6月にはチームとの契約更新が発表され、現在もチームの守備の要として頑張っています。
まとめ|福留慧美の中学校や高校はどこ?市立樫原中学から京都橘高校卒で龍谷大学進学
今回は、世界を舞台に活躍する女子バレーボール・福留慧美選手の学歴や経歴について詳しく紹介しました。
小学校でのバレーボールとの出会いから始まり、中学校での指導者の言葉をきっかけに「リベロ」へ転向したことが、現在の輝かしいキャリアの原点となっています。
名門・京都橘高校での文武両道や、龍谷大学時代を経て、デンソー、そしてイタリア・ミラノでの活躍へと大きく世界へ羽ばたいていきました。
公式な愛称は「サトミ」ですが、イタリア時代はその驚異的なレシーブ力から「ダイソン(Dyson)」という愛称で現地ファンから絶大な愛を受けていたのも納得のエピソードですよね。
小柄な身体から繰り出される圧倒的な守備力で世界を魅了する福留慧美選手。
ヴィクトリーナ姫路でのこれからの活躍も本当に楽しみですね!
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