慶應義塾大学からオランダを経て、ドイツのVfLヴォルフスブルクへ移籍したストライカー・塩貝健人選手。
高校時代は「四軍」からのスタートという悔しい経験をしながらも、日々の努力を重ねて日本代表や海外の舞台へと駆け上がりました。
文武両道をいく彼の学歴や、これまでの歩みに注目が集まっています。
本記事では、塩貝健人選手の学歴やこれまでの経歴、これまでの歩みについてご紹介します。
塩貝健人のプロフィール!身長や現在の年齢など
塩貝健人選手の基本プロフィールについて見ていきましょう。
| 名前 | 塩貝 健人(しおがい けんと) |
| 生年月日 | 2005年3月26日 |
| 年齢 | 21歳(2026年9月現在) |
| 出身地 | 東京都 |
| 身長 | 180cm |
| 所属 | VfLヴォルフスブルク |
| ポジション | FW |
身長は高校時代から成長を続け、現在は180cmとなっています。
にらたま塩貝選手ってピッチでは力強いプレーを見せるけど、実は『電車で背の高い人が隣に来ると背伸びしちゃう』っていう負けず嫌いエピソードがあるのですよ



えっ、そんな一面があるんだね、親近感が湧いちゃうね〜



普段のストイックな姿とのギャップが可愛いですよね



ますます応援したくなるね!
塩貝健人の出身小学校や出身中学校は?
ここでは、幼少期から中学時代までの歩みと、それぞれの所属クラブについて紹介します。
小学校時代(幼少期)
塩貝健人選手は、江東区のバディサッカークラブ江東(バディSC江東)に所属していました。
具体的な小学校名は公開されていませんが、東京都出身で江東区のチームに所属していたことから、周辺の公立小学校に通っていたとみられています。
小学1年生からサッカーを始め、当時は体が小さくゴールキーパーまでかわしにいくようなプレースタイルだったものの、得点の数はそれほど多くなかったそうです。
中学校時代
中学校時代は横浜FCジュニアユースに所属していました。
塩貝選手自身の出身地が東京都であること、また小学生時代に東京都江東区のチーム(バディSC江東)に所属していたことから、生活圏を考慮して江東区周辺の公立中学校に通っていたと推測されています。
横浜FCジュニアユース時代は控え選手が多く、韓国遠征のメンバーから外れるなど苦しい時期も経験しました。
試合に出られない悔しさから指導者のせいにし、練習態度が悪くなって一人で体育館掃除を命じられたこともあったと振り返っています。
そうしたジュニアユースでの日々の積み重ねを経て、技術面やチーム事情なども含めた総合的な判断から、当時は横浜FCユースへの昇格はかないませんでした。
塩貝健人の出身高校や出身大学は?
高校での飛躍的な成長から、大学進学、そして在学中の欧州挑戦までの道のりを見ていきます。
高校時代(國學院大學久我山高校)
横浜FCユースへの昇格が見送りとなった後、早稲田実業や法政、桐蔭学園などを検討するも実績不足などで叶わず、國學院大學久我山高校へスポーツ推薦で進学しました。
入学当初は技術重視のチームの中でトップチームから遠い「四軍(地区トップリーグ/T3の下)」に所属し、監督に名前すら覚えてもらえずビブスの背番号で呼ばれていたそうです。
この悔しさから自粛期間中にジムに通い詰め、兄・亮太さんと共に筋トレを徹底しました。
その結果、身長が約178cmまで伸び、フィジカルとスピードが大きく向上します。
毎日朝の自主練や昼休みの筋トレ、放課後のアジリティトレーニングを続け、高校3年時にはキャプテンに就任しました。
選手権東京都予選で帝京高校を破って全国大会出場を決め、第101回全国高校サッカー選手権大会では優秀選手や日本高校選抜に選ばれています。


引用元:Google map
大学時代(慶應義塾大学・法学部政治学科)
2023年4月に慶應義塾大学の法学部政治学科へ進学しました(現在は休学中)。
1年生から背番号10を任され、関東大学リーグで経験を積めることや、守備を厳しく指導してもらえる環境などに惹かれて選んだといいます。
大学1年時には「関東リーグ得点王」を目標に掲げ、商学部4年だった兄・亮太さんとソッカー部で一緒にプレーする姿も見られました。
2024年1月に横浜F・マリノスへの加入内定と特別指定選手認定が発表され、J1リーグでもプレーを経験します。
その後、オランダ1部のN.E.C.ナイメヘンへの移籍が発表され、マリノスの特別指定を解除して19歳で欧州へ渡りました。
現在はドイツのVfLヴォルフスブルクでプレーを続けています。
まとめ|塩貝健人の中学校や高校はどこ?公立中学校から國學院大學久我山高校卒で慶應大学へ進学
これまでの経歴や歩みを簡単に振り返ります。
学歴と所属
バディSC江東 → 横浜FCジュニアユース(江東区周辺の公立中学校に通っていたと推測) → 國學院大學久我山高校 → 慶應義塾大学法学部政治学科(休学中)
挫折と変化
中学時代の控えや練習態度に関する反省、高校入学直後の「四軍」スタートという厳しい時期を経験
肉体改造
自粛期間中の徹底した筋トレと毎日の特訓により、圧倒的なフィジカルを獲得
家族の支え
外資系投資銀行で働いていた父親による映像分析や指導、3歳上の兄・亮太さんとの切磋琢磨が現在の礎に
中学や高校での苦難を乗り越え、世界を舞台に挑戦を続ける塩貝健人選手の今後の活躍からも目が離せません。















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