日本代表のディフェンダーとして、世界を舞台に目覚ましい活躍を続けている板倉滉選手。
圧倒的な身体能力と高い戦術理解度でチームを支える姿は、多くのサッカーファンの心を惹きつけてやみません。
そんな板倉滉選手ですが、ネットで名前を検索すると「父親銀行」といったキーワードがよく出てきます。
「父親銀行???」「父親の職業は銀行員?」と真相が気になりますよね。
実際のところはどうなのでしょうか。
今回は、板倉滉選手の家族にまつわる噂の真相や、幼少期の意外なエピソードについて詳しく解説します。
板倉滉のプロフィール!身長や年齢や幼少期について
まずは、板倉滉選手の基本的なプロフィールと、幼少期の環境についてご紹介します。
板倉選手は小学校時代に転校や引っ越しを経験していますが、その理由は父親の仕事の転勤に伴うものです。
板倉選手の基本的なプロフィールは以下の通りです。
生年月日:1997年1月27日
出身地:神奈川県横浜市
サイズ:身長185cm(または186cm)、体重73kg(または75kg)
血液型:A型
ニックネーム:コウ
板倉選手は神奈川県横浜市で生まれましたが、生後間もなく父親の転勤のため、兵庫県西宮市へ転居しました。
小学校1年生の春頃までの約6年半を西宮市で過ごし、その後再び横浜市に戻るという生活を送っています。
学歴や所属チームの経歴を振り返ると、その移動の多さがよく分かります。
所属歴
高木FC(兵庫県)→ さぎぬまSC(神奈川県)→ あざみ野FC(神奈川県)→ 川崎フロンターレU-12/15/18
学歴
横浜市立荏子田小学校 → 横浜市立すすき野中学校 → 神奈川県立川崎北高等学校
ちなみに、兵庫時代に通っていた小学校は非公表ですが、所属していたサッカークラブ(高木FC)の活動拠点であった「高木小学校」が有力視されています。
幼少期を過ごした西宮市では、約60世帯が暮らす企業の社宅に住んでいました。
敷地内の公園や会社の保養所などで、多くの世代の子供たちや大人と日常的に交流して育ったそうです。
このように、幼い頃から多くの人と関わる環境に身を置き、転校や引っ越しを経験したことが、現在の板倉選手の高いコミュニケーション能力や、どのチームにもすぐに馴染める柔軟なメンタリティを育むきっかけになったのだと言えます。
板倉滉の父親の職業は銀行員?一般の会社員
ネットで板倉選手の名前を検索すると、関連ワードとして「父親銀行」という言葉がよく浮上します。
しかし結論から言うと、板倉選手の父親が銀行員であるという客観的な証拠はありません。
父親は一般人であるため、氏名や勤務先などの具体的な情報は公式に非公表となっています。
板倉滉選手の年齢から推測すると父親の年齢は50歳代だと思われます。
では、なぜ「銀行員」という噂がこれほど定着したのでしょうか。
大きな理由は、父親の仕事が「全国転勤を伴う会社員」であるという事実だからです。
先ほど紹介したように、板倉家は横浜から兵庫、そして再び横浜へと、父親の仕事の都合で大規模な引っ越しを行っています。
世間一般において「数年単位で全国を飛び回る転勤族」といえば、メガバンクをはじめとする銀行員を連想する人が多いものです。
この「転勤族」というキーワードからファンの間で連想ゲームが始まり、いつの間にか「父親の職業は銀行員に違いない」という根拠のない噂がネット上で広がってしまったのだと結論づけられます。
実際の職種は明かされていませんが、家族を支えながら国内外で活躍する息子を温かく見守る、立派な一般の会社員であることは間違いありません。
板倉滉の父親もサッカーをやっていた!?
板倉選手がサッカーを始めたのは父親の影響ではなく、父親自身もサッカーの経験者ではないのです。
実際の父親は、高校時代に野球部のピッチャー(投手)として活躍した野球人でした。
当時の父親は「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔投手に強い憧れを抱いていました。
そのため、将来は自分の息子をピッチャーに育て上げ、甲子園のマウンドに立たせたいという熱い夢を持っていたのです。
父親の野球に対する熱意は本物で、板倉選手が3歳の時にはすでにグローブを、4歳の時には木製バットを買い与えていたほどです。
実際に親子で甲子園球場へ足を運び、プロ野球や高校野球を観戦させて、野球の魅力を教え込もうとしていました。
しかし、運命の転機は小学1年生の春に訪れます。
学校で開催されたサッカー大会に出場した板倉選手は、見事な活躍を見せて賞状をもらいました。
この成功体験が嬉しかった板倉選手は、自宅に帰るなり「おれ、サッカーやるわ」と自らサッカーへの転向を宣言したのです。
我が子を野球選手にしたいと願っていた父親にとって、これは予想外の出来事だったに違いありません。
しかし父親は自分の夢を押し付けることなく、息子の選択を全力で応援することに決めました。
サッカーへの転向が決まると、すぐに新しいスパイクを買い与え、日々の練習にも熱心に付き添ってサポートを続けたのです。
ちなみに、板倉選手の抜群の身体能力は、母親の遺伝も大きいと言われています。
母親の奈保子(なほこ)さんは元バレーボール部で、垂直跳びで約70cmも跳ぶことができるほどの高い運動能力の持ち主でした。
さらに、板倉選手が現在の地位を築くきっかけを作ったのも母親です。
川崎フロンターレが新しくジュニアチーム(U-12)を設立するというニュースをネットで見つけた奈保子さんは、応募の締め切り直前に、自ら事務所へ直接書類を持参して申し込んだのです。
この行動がなければ、現在の「サッカー選手・板倉滉」は誕生していなかったかもしれません。
なお、一部のネット記事で「有名Jリーガーの父を持つ」という表現が見られますが、これは誤解が生んだものです。
これは板倉選手の個人マネージャーを務める藤川誠人氏の父親であり、かつてヴェルディ川崎などで活躍した故・藤川孝幸氏のことを指しています。
板倉選手の学歴はこちらから

まとめ|板倉滉の父親は銀行員じゃない?年齢50代で職業は転勤族の会社員?
板倉滉選手の父親にまつわる噂について検証してきました。
検証結果をまとめると以下の通りです。
職業の真相
銀行員ではなく、転勤を伴う仕事をしている一般の会社員である。
スポーツ歴
サッカー選手ではなく、高校時代は野球部のピッチャーとして活動していた。
幼少期
父親は野球をやらせたかったが、本人の意志を尊重してサッカーの道を全力で応援した。
板倉選手は、父、母(奈保子さん)、本人、そして1歳年下の妹の4人家族で育ちました。
非常に家族仲が良いことで知られており、板倉選手自身も「この世で一番大切なものは家族」と公言しています。
プロになってからも、家族みんなで行った旅行が最高の思い出であると語るほどです。
そんな板倉選手が今でも大好きな「お袋の味」は、母親が作る特製の「餃子」なのだそうです。
父親が自分の好みを押し付けずに息子の夢に伴走し、母親がチャンスを逃さずに道を開いたからこそ、世界で戦う現在の板倉選手が存在しています。
素晴らしい家族の絆に支えられながら突き進む板倉滉選手のこれからの活躍に、ますます期待が高まります。


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