日本代表のディフェンスリーダーとして、そして海外リーグでも圧倒的な存在感を放つサッカー選手の板倉滉(いたくら こう)さん。
彼の代名詞とも言える正確なビルドアップや強靭なフィジカルが、どのような学生時代を経て培われたのか気になっている方も多いのではないでしょうか?
実は、板倉滉さんの学歴は地元・神奈川県横浜市および川崎市に深く根ざしており、小学校から高校までのすべての時代を「川崎フロンターレ」のアカデミーで過ごしています。
この記事では、板倉滉さんの出身校である横浜市立荏子田小学校、横浜市立すすき野中学校、神奈川県立川崎北高等学校でのエピソードや、当時の貴重な成長の軌跡を詳しくご紹介します。
板倉滉のプロフィール!横浜市立荏子田(えこだ)小学校出身
板倉滉選手は、神奈川県横浜市出身で、小学校は地元の「横浜市立荏子田(えこだ)小学校」に通っていました。
現在でこそ世界屈指のセンターバックとして名を馳せていますが、その原点は横浜の地にあります。
2026年に行われたワールドカップの際には、母校である荏子田小学校でパブリックビューイングが開催されました。
地域住民や子どもたち約300人が集まり、グラウンドから世界へ羽ばたいた偉大な先輩へ熱い声援を送るなど、今でも地元から深く愛されている存在です。
ここで、板倉滉選手の基本的なプロフィールと、小学生時代の変遷を整理します。
| 本名 | 板倉滉 |
| 生年月日 | 1997年1月27日 |
| 年齢 | 29歳(2026年時点) |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 身長/体重 | 188cm/80kg |
| 小学生時代の所属チーム | 高木FC(兵庫県) ⇒ さぎぬまSC(神奈川県) ⇒ あざみ野FC(神奈川県) ⇒ 川崎フロンターレU-12 |
板倉滉選手のサッカーキャリアは非常に興味深い足跡を辿っています。
幼少期に兵庫県の高木FCでサッカーを始め、その後神奈川県へ移ると、さぎぬまSCやあざみ野FCといった地元の名門少年サッカークラブで実力を磨きました。
そして大きな転機となったのが、川崎フロンターレU-12への入団です。
実は、板倉滉選手はこの川崎フロンターレU-12の立ち上げ時における「第1期生」という記念すべき歴史を持っています。
ここから、プロへと続く一本の道が本格的に始まりました。
小学生当時のプレースタイルは、現在見せている堅実なディフェンダーの姿からは想像がつかないものでした。
アカデミーのセレクション時、板倉滉選手はフォワードとして参加していました。
当時のコーチは「セレクションの中で一番点数をとっていた」と振り返っており、卓越した得点感覚と攻撃センスを持ち合わせていたことが分かります。
この時期に培われた攻撃のクオリティやボールコントロールの技術が、現在のビルドアップ能力の高さに直結しています。

引用元:Googlemapsストリートビュー
板倉滉 の出身中学は横浜市立すすき野中学校
板倉滉選手の出身中学校は、地元である「横浜市立すすき野中学校」です。
小学校を卒業した板倉滉選手は、そのまま地域の中学校へと進学し、学業とサッカーの両立を図る日々を送りました。
プロを夢見る多くの子どもたちがクラブチームの厳しい環境に身を置く中、板倉滉選手もまた、川崎フロンターレのアカデミーで一歩一歩着実にステップアップを果たしていきました。
中学時代の所属チームは、川崎フロンターレU-13およびU-15です。
このジュニアユース時代に、現在のプレースタイルの基礎となる重要な方針転換が行われました。
元々は小学生時代と同様に攻撃的なポジションでのプレーを希望していましたが、指導陣は板倉滉選手の恵まれた体格と将来性を見抜いていました。
その豊かな素質を最大限に生かすため、指導者によってボランチとセンターバックの両方のポジションがこなせるよう、徹底的な指導が行われました。複数の役割を高い次元で遂行する柔軟性は、この中学時代の熱心なコンバートと指導の賜物です。
厳しい練習に明け暮れる毎日でしたが、地元の中学生らしい素朴な一面ものぞかせています。
板倉滉選手は地元のおすすめスポットとして、横浜市青葉区にある温浴施設「すすき野 湯けむりの里」を挙げています。
ハードなトレーニングで疲弊した身体を癒やし、リフレッシュするための大切な場所として、学生時代から親しんでいました。
地元の街に深く根ざし、周囲の環境に支えられながら思春期を過ごしていた様子が伺えます。
板倉滉 の出身高校は神奈川県立川崎北高等学校
板倉滉選手が全日制の高校生活を送り、2015年に卒業した出身高校は「神奈川県立川崎北高等学校」です。
川崎北高校は多くのスポーツ選手を輩出していることでも知られており、クラブチームでの活動に理解がある環境が整っていました。
板倉滉選手は高校へ通学しながら、川崎フロンターレU-18のチームメイトとともに切磋琢磨する充実した3年間を過ごしました。
高校時代の所属チームである川崎フロンターレU-18において、板倉滉選手はキャプテンという大役を任されました。
チームの中心選手として傑出したリーダーシップを発揮し、精神的支柱としてもメンバーを牽引しました。
具体的な戦績として語り継がれているのが、2014年に開催されたプリンスリーグ関東第17節のFC東京U-18戦です。
この大一番において、板倉滉選手は同じくアカデミーで共にしてきた三好康児選手のアシストから見事なゴールを決め、チームを4-0という快勝へ導く大きな貢献を果たしました。
こうした育成年代での圧倒的な活躍と将来性が高く評価され、高校3年生となった2014年9月には、トップチームの公式戦に出場することが認められる「2種登録選手」に選出されました。
これはプロの舞台が一歩近付いた証であり、同世代の中でも頭一つ抜けた実力を持っていた証拠です。
正式に高校を卒業する2015年、同期の盟友である三好康児選手とともに、念願であったトップチームへの昇格を勝ち取りました。
サッカーにおいては非凡な才能を見せていた板倉滉選手ですが、学生時代の勉強面に関しては非常に親しみやすいエピソードを持っています。
当時のインタビューにおいて、学生時代の得意な教科について質問された際、「得意な教科は体育、苦手な教科は体育以外」と明快に答えていました。
まさにサッカー一筋で生きてきたアスリートらしい潔さと、お茶目なキャラクターが垣間見えるエピソードとしてファンの間で親しまれています。

引用元:Googlemapストリートビュー


まとめ|板倉滉の出身校は?横浜市立荏子田小学校からすすき野中学校卒業して川崎北高等学校へ!
板倉滉選手の学生時代における学歴と成長の軌跡を振り返りました。
改めてまとめると、出身校はすべて地元の神奈川県内の学校であり、地域に密着した温かい環境の中で育ちました。
注目すべき点は、小学校から中学校、高校にいたるまでの全学生時代を通じて、一貫して川崎フロンターレのアカデミー(U-12、U-15、U-18)に所属し続けたという事実です。
地元サッカークラブの手厚い育成体制の中で順調に階段を駆け上がり、才能を開花させました。
地域の人々や指導者に温かく見守られながら、現在の世界基準の基礎が作られました。
高校卒業後の2015年にトップチームへと昇格を果たした板倉滉選手は、翌年2016年8月に開催されたヴァンフォーレ甲府戦にて待望のJ1初出場を記録しました。
ここからプロとしての輝かしいキャリアが本格的に幕を開け、現在のヨーロッパでの活躍や日本代表の主力としての地位に繋がっています。
地元を愛し、地元から愛される板倉滉選手のこれからの更なる躍進に、引き続き注目が集まります。


コメント