日本代表でも活躍し、世界レベルのプレーでファンを楽しませてくれるリベロの小川智大選手。
正確すぎるトスや粘り強いレシーブを見るたびに「どんな学生時代を過ごしてきたんだろう?」と気になりますよね。
実は、小川智大選手の学生時代を調べてみると、現在のリベロというポジションからは想像もつかないような驚きの経歴が隠されていました。
今回は、小川智大選手のプロフィールをはじめ、出身小学校から中学校、高校、大学までの学歴や当時のエピソードを詳しくまとめてお届けします!
小川智大のプロフィール!身長や年齢など
まずは、小川智大選手の基本的なプロフィールからチェックしていきましょう。
| 名前 | 小川智大(おがわ ともひろ) |
| 生年月日 | 1996年7月4日 |
| 年齢 | 30歳(2026年8月現在) |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 身長 | 176cm |
| 所属 | BOGDANKA LUK Lublin |
| ポジション | リベロ(L) |
にらたま小川智大選手って、コート上ではすごく頼もしいリベロだけど、好きな食べ物がお寿司で趣味がスイカゲームっていう親しみやすいギャップがあるのですよ



えっ、そうなんだ!あの世界級のレシーブを見せる人がスイカゲームにハマってるなんて、なんだか可愛らしいね〜



試合前には必ずストレッチを欠かさないストイックさもあるし、そういうギャップもファンの間ではたまらないポイントみたい!



親近感がわいて、ますます応援したくなっちゃうね!
小川智大の出身小学校や出身中学校はどこ?
今でこそ日本を代表する最高峰のリベロとして知られる小川智大選手ですが、バレーボールを始めたきっかけや中学時代はどんな選手だったのでしょうか。
さっそく幼少期から振り返ってみましょう。
小学校時代(瀬谷小学校・幼少期)
小川智大選手の出身小学校は、地元である横浜市立瀬谷小学校です。
小学生時代は「大和ベアーズ」というクラブチームに在籍していました。
バレーボールを始めたのは9歳(小学3年生)のとき。実のお姉さんの影響を受けたことがきっかけだったそうです。
幼い頃から身近にバレーボールがある環境で育ち、少しずつその面白さにハマっていったのかもしれませんね。


引用元:横浜市立瀬谷小学校ホームページ
中学時代(横浜市立万騎が原中学校)
小学校を卒業後、小川智大選手は横浜市立万騎が原中学校に進学します。
万騎が原中学校の男子バレー部は強豪として知られており、神奈川県大会で2位に入って関東大会への出場も果たしています。
ここで一番驚きなのが、「中学時代の小川智大選手はリベロではなかった」ということです!
なんと、中学1年時にはリベロではなくセッターとして練習試合などに出ていました。
当時からテンポの速いトスを上げたり、クイックやコンビを上手く使って相手ブロッカーを振ったりと、トスアップの能力がずば抜けて高かったそうです。
さらに、最高学年になると今度はセッターからアウトサイドヒッター(アタッカー)に転向!
オーバーパスやアンダーパスを自在に使って相手コートへ直接ボールを落とすなど、トリッキーで技術の引き出しが多いプレーで得点を重ねていました。
では、一体いつからリベロになったのでしょうか?
実は、中学の部活を引退した後にJOC(日本オリンピック委員会)のジュニアオリンピックカップ選抜選手に選ばれた際、初めてリベロというポジションを任されたのがきっかけでした。
セッターやアタッカーとしてコート全体を見渡し、様々な視点からプレーした経験が、のちにリベロとして覚醒する大きな糧になったと言えそうですね。


引用元:Google map
小川智大の出身高校や出身大学はどこ?
中学校で様々なポジションを経験した小川智大選手は、高校・大学へと進学し、さらにその才能を開花させていきます。
高校時代(川崎市立橘高等学校)
高校は、神奈川県のバレーボール強豪校として名高い川崎市立橘高等学校に進学しました(2012年〜2015年)。
橘高校でも春高バレー(全日本バレーボール高等学校選手権大会)やインターハイ(全国高等学校総合体育大会)といった全国の大舞台に出場しています。
高校でのポジション変遷もかなり個性的です。
高校1年・2年時
ポジションはリベロ
高校3年時
チームの戦術(コンビバレー)に合わせ、「ツーセッター(Wセッター)&アウトサイドヒッター」として出場
なんと、高校3年生のときは再びアタッカーやセッターとしてコートに立っていたのです!
当時はライト側から攻撃に参加するなど、リベロのイメージが強い現在の姿からは想像もつかないような万能ぶりを発揮していました。
どんな役割でも高いレベルでこなせる選手だったことが伝わってきますね。
小川智大選手が「第2のセッター」と呼ばれるほど正確で巧みなトスを上げられる理由は、中学1年時と高校3年時に本格的なセッター経験を積んでいたからこそなんですね。
| 学校名 | 川崎市立橘高等学校 |
| 住所 | 〒211-0012 神奈川県川崎市中原区中丸子562 |
| 偏差値 | 44~58(普通科・国際科・スポーツ科) |
| 有名卒業生 (サッカー部) | 1. 三笘薫(イングランド・ブライトン / 日本代表) 2. 新井直登(YSCC横浜 など) 3. 嵯峨康太(YSCC横浜 など) 4. 藤森隆汰(高知ユナイテッドSC) 5. 中村大輝(YSCC横浜) |


引用元:Google map
大学時代(明治大学 政治経済学部)
高校卒業後は、明治大学 政治経済学部(2015年〜2019年)に進学します。
大学時代からはポジションをリベロに一貫し、ここから一気に「超人的なリベロ」としての道を駆け上がっていきました。
大学時代の実績と主な歩み
1年時
春季関東大学リーグからベンチ入りを果たし、大舞台の緊張感を経験
2年時
実力でスターティングメンバー(スタメン)の座を勝ち取る
全日本インカレ
質の高いレシーブで連覇に貢献し、連続で「ベストリベロ賞」を受賞
4年時(2018年度)
明治大学バレーボール部の主将(キャプテン)に就任しチームを牽引
弱点を克服し「超人的レシーブ力」へ
中学・高校時代からサーブレシーブの「ボールの軌道を読む力」は一級品でしたが、実は中学時代の顧問から「遠くに弾かれたボールへのダッシュ力が課題だった」と振り返られる一面もありました。
しかし大学時代の地道な練習によってこの課題を見事に克服。
飛びつきレシーブや圧倒的な粘り強さを手に入れ、隙のないレシーバーへと大きな進化を遂げました。
将来をかけた(!?)後輩とのサーブレシーブ対決
大学4年時には、チームメイト(1学年後輩の鎌田佳朗選手)とサーブレシーブ成功率の順位を競い合い、秋季リーグ前に「負けたらバレーをやめてニートになってやる!」と冗談交じりで宣言していた面白いエピソードもあります。
結果は小川選手が6位、後輩が8位となり、見事勝利!
仲間と切磋琢磨しながら充実した大学生活を過ごしていたことが伝わってきますね。
まとめ|小川智大の中学校や高校はどこ?万騎が原中学から川崎市立橘高校卒で明治大学へ進学
今回は、バレーボール日本代表としても活躍する小川智大選手の学歴や学生時代のエピソードについてご紹介しました。
小川智大選手のこれまでの歩みをまとめると、以下のようになります。
小学校
横浜市立瀬谷小学校(大和ベアーズで9歳からバレーを始める)
中学校
横浜市立万騎が原中学校(セッターやアタッカーとして活躍、引退後にリベロへ)
高校
川崎市立橘高等学校(高3時はツーセッター兼アタッカーとして春高予選等に出場)
大学
明治大学 政治経済学部(リベロとして開花し、キャプテンやベストリベロ賞を受賞)
大学卒業後はウルフドッグス名古屋でプロとしてのキャリアをスタートさせ、ジェイテクトSTINGS愛知、サントリーサンバーズ大阪といった名門チームで活躍してきました。
そして2026年には、自身初となる海外挑戦としてポーランド1部リーグの強豪「BOGDANKA LUK Lublin(ルブリン)」への移籍を果たしています。
リベロでありながら、セッターやアタッカーの経験に裏打ちされた多彩なプレイを見せてくれる小川智大選手。
これから世界を舞台にどんな素晴らしい見せ場を作ってくれるのか、今後の活躍からも目が離せませんね!
















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