男子バレーボール日本代表の守護神としてコートに立ち、驚異的なレシーブ力でチームを支え続けている山本智大選手。
いまや世界トップクラスのリベロとして知られていますが、どのような学生時代を過ごしてきたのか気になる方も多いのではないでしょうか。
今回は、山本智大選手の出身小・中・高校や大学といった学歴から、ポジション転向の裏側、プロ入り後の歩みまで詳しくお届けします!
山本智大のプロフィール!身長や年齢など
まずは、山本選手の年齢や身長、所属チームなどの基本的なプロフィールから詳しく見ていきましょう!
| 名前 | 山本 智大(やまもと ともひろ) |
| 生年月日 | 1994年11月5日 |
| 年齢 | 31歳(2026年9月現在) |
| 出身地 | 北海道江別市 |
| 身長 / 体重 | 171cm / 69kg |
| 所属 | 大阪ブルテオン(旧:パナソニックパンサーズ) |
| ポジション | リベロ |
にらたま山本智大選手ってコート上ではいつも気迫あふれる熱いプレーを見せてくれるけど、、実は子どもの頃から大のバレー好きで、風船バレーにも夢中になっていたそうなのですよ



えっ、そうなんだ!今のあの反応の速さは、小さい頃からバレーに没頭していたからこそなのかな〜



お父さんによると、今の子どもたちがゲームにハマるのと同じような感覚でずっとバレーボールで遊んでいたみたいですね



なるほど!本当にバレーボールが大好きのまま成長してきたんだね。
山本智大の出身小学校(幼少時代)や出身中学校は?
今のプレースタイルの原点とも言える小・中学校時代。
どのようにしてバレーボールと出会い、守備のスペシャリストへと進んでいったのでしょうか。
小学校時代(江別市立対雁小学校)
山本智大選手は北海道江別市の出身です。
小学1年生のとき、2歳年上の兄・貴大さんの影響を受けて「江別中央ガッツチーム」というジュニアバレーボールチームに入り、本格的に競技を始めました。
当時はレシーバーなどを務めながらプレーしていました。
幼少期から風船バレーにゲーム感覚で没頭していた経験が、今の卓越したボールコントロールの基礎をつくったのは間違いなさそうですね。


引用元:Google map
中学校時代(恵庭市立恵庭中学校)
中学校は「恵庭市立恵庭中学校」に通っていました。
実は最初から恵庭中学校にいたわけではなく、別の中学校から転校しています。
その理由は、中学校の教員でありバレーボール部顧問を務めていた父親からの指導を直接受けるためでした。
お父様は元バレー選手で全国大会優勝の経験もある素晴らしい指導者で、山本選手も尊敬する人物として名前を挙げています。
中学時代は主にアタッカー(スパイカー)としてコートに立っていました。
しかし、小柄だったこともあり、相手チームからレシーブで狙われることも多く、お母様は当時の様子をとても心配しながら見守っていたそうです。
大きな転機が訪れたのは中学3年生の12月。
JOCジュニアオリンピックカップ(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)に北海道選抜として選ばれたタイミングでした。
これから先、上のカテゴリーで戦っていくために自身の身長(当時は165cmほど)を見つめ直し、お父様からの「守りのスペシャリストに挑戦してみては」という勧めもあって、本格的にリベロへ転向することを決意します。
山本選手自身も「今のポジションができるのは父の基礎指導のおかげ」と振り返っており、親子で歩んだ中学時代が大きな分岐点となりました。


引用元:Google map
山本智大の出身高校や出身大学は?
リベロとして本格的に歩み始めた山本選手は、高校・大学でさらにその才能を開花させていきます。
高校時代(酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校)
中学卒業後、山本選手はバレーボールの名門である「酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校」へ進学しました。
高校では、チームを数々の全国大会へと導いてきた山田和弘先生の指導を受けます。
山本選手が在籍していた時期にもしっかりと全国大会出場を果たしました。
山田先生のことを山本選手は今でも「恩師」と呼び、深く感謝しているそうです。
実は高校を卒業する際、山本選手は大学への進学をそこまで強く考えていませんでした。
しかし、恩師である山田先生から背中を押されたことで、大学でもバレーボールを続けることを決意します。
この恩師の一言がなければ、今の日本代表での活躍は見られなかったかもしれませんね。


引用元:Google map
大学時代(日本体育大学)からそれ以降の進路
高校卒業後、バレーボールの名門「日本体育大学」に進学します。
名門チームでありながら、なんと1年生の春からレギュラーの座を獲得。
大学リーグで「リベロ賞」を受賞し、世代別の代表候補にも選ばれるようになったことで、「Vリーグでもやっていけるかもしれない」という手応えと自信を掴んでいきました。
しかし、大学4年時の就職活動では試練も経験します。
同級生たちが次々とVリーグチームの内定を決めていく中、山本選手のもとにはなかなか声がかかりませんでした。
そんな中、日体大の山本健之監督から面接を受けるよう勧められた「FC東京」からの呼びかけがあり、無事に内定が決まりました。
FC東京での挫折と、そこからの這い上がり
2017年にFC東京へ正式加入した山本選手ですが、当時は関連会社で働きながらプレイする実業団形式でした。
仕事と競技の両立は想像以上に過酷で、試合出場機会も少なく一時は挫折を味わいます。
当時の生活について「あの頃はほぼご飯を食べていなかった」と振り返るほどでした。
「初めてバレーボールが楽しくないと感じた」というほどのどん底を味わいます。
しかし、その悔しさを糧に心機一転して移籍を決意し、そこから世界へと繋がる大きな飛躍を遂げていくことになります。
2018年
堺ブレイザーズ(現:日本製鉄堺ブレイザーズ)へ移籍し、開幕レギュラーとして活躍
2019年
日本代表に初選出され、ワールドカップ4位入賞に貢献
2021年・2024年
東京・パリと2大会連続でオリンピック出場を果たした
2023年〜現在
大阪ブルテオンへ移籍し、SVリーグ優勝や3年連続のベストリベロ賞を獲得
現在
一部で囁かれた引退の事実もなく、2026年度も日本代表メンバーとして第一線で活躍中
まとめ|山本智大の中学校や高校はどこ?恵庭中からとわの森三愛高卒で 日本体育大学進学
今回は、バレーボール日本代表の山本智大選手の学歴や経歴についてご紹介しました。
- 中学校は父親が顧問を務める「恵庭市立恵庭中学校」へ転校し、アタッカーから「リベロ」へ転向した
- 高校は名門「とわの森三愛高校」へ進学し、恩師のアドバイスで進学を決意した
- 大学は「日本体育大学」へ進み、1年春からレギュラーとして活躍した
- 実業団時代の挫折を乗り越え、世界トップクラスのリベロへと成長した
お父様の指導や恩師の言葉、そして数々の悔しさを糧にして這い上がってきた努力があってこそ、今の素晴らしいプレースタイルが生まれたのですね。
これからも日本の守護神としてコートで輝き続ける山本智大選手を、みんなで温かく応援していきましょう!
















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